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糖尿病の母が入院した時のこと~肺炎・感染症・敗血症を合併し発症した記録②~

✚病気(糖尿病など)
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どうも^^ hapikoです^^

今日も時折り陽が射したり、天気がいいのか悪いのか^^;

せっかくの1週間のスタートも蒸し暑さが際立ちましたね(;。;)

はやくカラッと晴れてほしいものです!

 

さて、先日は一番最近、母が入院した時のことを記録しました

 

 

実は、この時が今までに入院した中で一番危機感を感じた時でした…

それでは、続きです…

そして長いです…

 

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深夜0時から鳴り止まない緊急ブザー

 

4月14日、昼までは調子が良かった母は、夜の食事はほぼ食べれず
薬を飲ませてベッドに入ったのが19時頃…

私は翌日の15日に、午前と午後、1社ずつ仕事の面接の予定があったので、
その準備を済ませて、早めに寝ることにしていました。
そろそろ寝ようかと思ったときに、母の様子を見たらおとなしく寝ているし
大丈夫かなと思って2階の自室で寝ることにしたのです。

そして深夜0時過ぎに私の枕元のブザーが鳴ったのです
それもずっと連呼…
慌てて階下の母の様子を見に行ったところ、朦朧となりながら嘔吐していました

あ、ブザーですが…
以前は母も2階に寝室があり、私の隣の部屋で過ごしていたのですけど、
昨年の暮れに転んで全身打撲状態となり、2階に上がるのも大変だったことがあったのです。
それで、姉一家が総出で私の不在時に母のベッドを1階に移動させまして…
ただ、何かあった時に私を呼べるようにと枕元にお知らせブザーを置いていったのです。

コレです ↓

 

ワイヤレスなので、乾電池だけで使えます。
受信側(写真左)は後ろがクリップタイプになっていますので、
部屋を離れて何かをするときなどは歩数計みたいに身に着けて動けます
歩数計よりはちょっと大きいですけど便利だと思いました!

ブザー自体は玄関のインターホンのような音がします。
なので、最初鳴った時は夢を見てるのかと思いました…
連続して鳴る音で、ただ事ではないと思い飛び起きていきました。

母は「トイレに行きたいけど、身体が思う様に動かない」
「気持ち悪い」「トイレに行きたい」とただただ繰り返し、
起き上がろうと体を起こそうとしては、力が入らないので起ききれずベッドに体を倒してしまう

とにかくトイレまで連れて行き、用を済ませて顔や手を拭いて
パジャマを着替えさせてもう一度寝かせる
本人もそれだけで疲れてしまったようですぐに眠りについたので、
私も隣室のリビングで眠りにつきました。

私も13日から何気に疲れていたのか、割と深く寝てしまったみたいで
朝起きて「なぜ寝入ってしまったのか」と後悔しました・・・。

 

嘔吐が吐血になり救急搬送

 

朝起きて、状況をみて驚きました・・・。

母は夜中に自力でトイレに行った形跡がありました。
汚い話で申し訳ありませんが、トイレの手洗い器が吐物で汚れていたので・・・

その瞬間に、申し訳ない気持ちでたまりませんでした・・・
母の寝室からはリビングを通らないとトイレにはいけないのです。
母は私がリビングで寝ていることに気付いていなかったかもしれないけれど
私は母がトイレに行くのに気付かなければいけなかった・・・。

そして母が起きてからが大変でした。

また「トイレに行きたい」「気持ち悪い」を繰り返し、
一度トイレに連れていこうと抱きかかえた瞬間、
母は急に抱きかかえられ、立たされた反動で嘔吐し、
それを私は真正面から受け止めることになりました。
(汚い話ですみません・・・)

一旦、用を済ませてから、また顔や手を拭いて着替えさせ、
しばらくソファーに座らせて、その間にベッドの寝具を全て変えて
またベッドに戻して寝かせました。

 

 

それが7時半頃・・・、熱は38.4度 嘔吐が止まらないから薬を飲ませられないなと思い
これで少しでも熱が下がってくれればと座薬を使用。

これは病院に連れていくのもちょっと大変だなと考える。。。
母は私と同じくらいの体重があるので、ぐたーっと脱力状態になると本当に重いのです。
トイレに連れていく事はできるけど、病院に一人で連れていくには難しい…
姉に連絡をして手伝ってもらおうかと考える

もう今日の面接は行けないかな、、、 もうちょっと様子を見て・・・
午前中の面接は地元企業だし、車で10分程度だし、面接を済ませても1時間もかからずに帰ってこれる
そんなことが頭をぐるぐる・・・
仕事が決まらない焦りから、私は自分の就職の方に気を取られていました。

母の様子を見ると寝ている。
ひとまず支度だけでもしておこうかと、シャワーを浴びて食事をして自分の身支度を整えた。

そうしてひと段落した時間が9時頃・・・

母の様子を見に行ったら「気持ち悪い」と何度かまた嘔吐していた。
これはもう面接は無理だと判断し、午前中の約束をした企業に連絡。
都合のいい話だが、面接の日にちをずらして欲しいと願い出ました。
9時半の面接の約束でしたが、連絡をしたのは9時でした。

そして母を病院に連れていこうと姉に連絡をしようとした時、黒っぽいこげ茶色の嘔吐をしだしたのです。
錆のような鉄のような感じの匂いがしました。
これは、身体のどこかで出血しているのではないかと思いました。
そう思って程なく母の意識が遠のきました。
呼びかけても反応が薄く、ベッドにひっく返ってしまったので吐物がのどに詰まってはいけないと思い、
その時点で救急に連絡。

 

 

救急車を呼ぶのは初めてではないので、自分でも驚くほど冷静で怖かったです。

救急に連絡したのが9時31分、救急車が到着したのが9時40分

病院に到着したのが10時過ぎでした。

 

CT、内視鏡検査をしても原因不明で緊急入院

 

救急センターの待合で待つこと2時間
途中で経緯の確認を数回されました。
13日から風邪っぽかった、14日は昼までは経過は良かったが、夜から調子が悪くなった
その後は夜中から嘔吐、吐血しているようだったので救急に連絡し現在に至る。
そしてその都度計った熱も何度だったか伝える。
糖尿病を患っていること、インスリン投与と普段飲んでいる薬を伝える。

私の午後からの面接は14時、出来ればそっちが本命だったので面接に行きたかった。
12時なった時点で諦め連絡。こちらは派遣の企業面談だったので派遣会社担当は呆れてる感じだった。
ドタキャンだし、それも当然かなと少し気落ちしました。

13時過ぎ、内視鏡検査の結果について説明を受けました。
出血の原因を確認するための内視鏡検査でした。
胃は潰瘍もなくきれいだけれど、嘔吐を繰り返したことが原因で胃の入口に圧がかかり
粘膜が裂けて出血したとのこと。
「マロリーワイス症候群」と言いますと説明を受けました。
ここは内視鏡検査の段階で処置をしてくださったとのことでした。

14時過ぎ、担当医の先生から
「CTも見た、他の検査もして炎症反応があることはわかったが、身体のどこが炎症しているのか
判断が出来ず原因不明。血液検査の結果待ちなのでとりあえず入院」と言われました。

 

 

ベッドの用意ができるまで救急センターで待たされ、部屋に移動できたのが16時過ぎでした。

看護師さんから母の入院に関してカウンセリングをしていただいて
入院の準備をする為に帰宅したら、あちこちの部屋の電気は点けっぱなし・・・
母の寝室は寝具が汚れたままひっくり返った状態でした。
一通りの準備をして病院に戻ると姉が来ていて、「ご飯食べた?」と聞かれて
あ、朝から何も食べてなかったと気付いたのが19時近かった・・・。

 

急性肺炎と感染症から敗血症・・・

 

翌日、先生が病室にいらして病状を説明してくれました。

血液検査から内容が判明したとのこと。

風邪から肺炎を起こしている、そしてそれよりも重篤な状況であるのが、
人体の常在菌である肺炎桿菌の一種が血液中に蔓延して敗血症を起こしているとのこと。

血液中に蔓延した菌が脳に入ってしまうととても危険な状態になると言われました。
その為、集中して2週間の抗菌投薬治療をし、2週間後の血液検査の結果次第で退院とのこと。

そして、免疫力が低い高齢の糖尿病の人は敗血症起こしやすいのだと言われました。

 

敗血症とは、生命を脅かす感染に対する生体反応です。
組織障害や臓器障害をきたすため、集中治療室(ICU)での全身管理および治療が必要になります。
ショックや著しい臓器障害をきたす場合は死に至る場合もあります。
引用:敗血症.COM

 

結果、入院初日と2日目は朦朧としていて、私の声もあまりわかっていない状況でした。
3日目から熱も微熱程度に下がり、顔つきも変わって意識もはっきりし始めました。
しかも!おもゆでしたが、おかず付きで食事が出始めていました。
あまり食べれてないとその時は言っていましたが…

そこからは早かったです。

4日目にはもう自分で歩いてトイレに行ける状態でした。
5日目からは熱もなく、肺炎は全く完治でいいとのこと、
本人はテレビが面白くない、退屈と言い出したので、普段の状態に戻ってきました。
残りは血液中に蔓延した菌が抗菌薬でしっかり治療できていればいいだけとなったので、
投薬期間の2週間までは、母は退屈で仕方ないようでした…。

そして後から話してみると、記憶が飛んでいるようでした。

まず、13日、静岡からとんぼ返りで帰ってきた時のことがほぼ記憶が無いらしい・・・
SAで海鮮丼を食べたよと言う ⇒ 覚えていない、、、
でも何か冷たいものを食べて冷たくて気持ち良かったのだけ覚えている

へー(@@;

そこから翌日14日の朝まで記憶が無いそう…。
14日は夜、気持ち悪くなって布団に入ったところまでは記憶があるけれど、
それ以降、全く記憶がなく気が付いたら病院だった、救急車で運ばれたことも覚えていない。
16日の夜まで記憶なしだそう・・・。

その後の経過は順調、血糖値も安定し始めましたし、
筋肉の衰えもないので、寝たきりになることはなさそうだとリハビリの先生に言われました。

抗菌薬の投薬を終え、血液検査の結果は良好でしたので退院の運びとなりました。
結果の説明を受ける時、先生は「入院当初は本当に危険な状態だったんですよ」と言われました。
そうですね、、、血圧の上が83とめちゃくちゃ低くて、救急では皆さん慌てて点滴を3本刺してました…。
先生も「ここまで元気になれて、本当に良かったですね」と言ってくださって感謝です。

母は退院して自宅に帰ることが本当に嬉しそうでした。
いつもケンカはしても、やはり2人で暮らす日々が有難いと私も思いましたし、
母をもう少し気遣わなければいけない、そして、身体の状態も気にしないといけないなと改めて思いました。

 

 

母は今年80歳になります。
いつも一緒に居ると、母の衰えにあまり気付けていないなと思います。

今回、救急車を呼んだ時、一瞬ですが最悪なことが頭をよぎりました。
そして、母も入院していた時に、これから何があってもおかしくないのだと
改めて自分でこれからのことも見据えておかなければと覚悟したのだそうです。

その話を姉にすると、姉は「まだまだ大丈夫」と言いますが、
私は「いつ何があってもおかしくはない」と思っています。

今回、先生に呼ばれてお話しを伺った時、
「高齢者の方で糖尿病を患っている場合、本当に様々なことから何が起こるかわからないです。
敗血症はとても危険な状態になると命にかかわることがあります、こちらも最善を尽くします」
と宣告されました。

幸い、短い入院期間で退院することができて、本当に良かったと思っています。
そして、改めて健康な人にはただの風邪でも、糖尿病で免疫力が低くなっている状態だと
何がどうなるのか、予期できない状態になることもあるのだと身を持って確認しました。

私は、この時から母の面倒を見るということについて、改めて覚悟をさせられた気がします。
汚い話で申し訳ありませんが、これまでは母が汚したものを手洗い洗濯をするなど
あまりしてこなかったのが恥ずかしいのですが、
このことをきかっけに片付けるのも、手洗い洗濯するのも、当然のこととしてこなせるようになりました。
何か吹っ切れたのでしょうね・・・^^;

ただ、私も母と同じ糖尿病になりました。
私には面倒を見てもらえる子供がおりません。。。

なので、自分の身は自分で・・・と管理できるように、、、
今はとにかく糖尿病が重くならないように管理しなければと
こうして記録をしたことで改めて強く思いました。

そして、この入院の日1日で2件の面接に行こうとした自分が情けないとも思いました。
でも、これが当時の本当の気持ちでした。
後日、2社とも日にちを改めて面接していただきました。
結果は不採用・・・。
その時も、理不尽だなと思うこともありました(TT)

さて、先ほど自己管理をと書いておきながら、今日は姉と甥が遊びにきたので、
またまた寿司&ケーキ食べちゃいました(>。<)
ダメですねぇ・・・
夜は節制することとします!^^;

 

あ、最後に昨日と今日の体重です~!

昨日(7/7)朝食前 血糖値 : 102  体重 : 68.1kg  前日比体重は  -0.1kg!

今朝、朝食前 血糖値 : 98  体重 : 67.9kg!! 

前日比体重は -0.2kg!!

おぉっ!この前0.4kg 戻ったけど、また減ってきたっ♪

でも今日はケーキ食べちゃったし。。。(笑)明日の計測がちょっと怖い^^;

あ、でもちゃんと四股スクワット、薪割りスクワット、かかと落とし、今日はその場足踏み!

しっかりやっています^^

とゆーことで、頑張らないダイエットも継続中です~^^!

 

さて、本当に長くなりました…

母が入院した時のことの記録はここまでっ!

蒸し暑いのに風がはなんとなく冷たい・・・
変な天気です

今夜からまたまとまった雨が降るみたい・・・
みなさまもどうかお気を付けくださいね

みなさまが日々ハッピーでありますように

 

hapiko

 

 

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