hapikoです
今日はお天気は気まぐれでしたが、気温は過ごしやすい一日でした
日に日に春が近づいているのかなぁと思います☆
さて、私は昨年、2024年4月中旬に突然の腹痛から入院をしました
当時インターネットで自分の病気を検索しましたが
私の検索技術が低いこともあってかなかなか探しきれなかったのですが、
実は稀な病状であったことがわかりました
同じ病気を患った方もいらっしゃるかもしれないし、少しでも参考になることがあればと
自分の備忘録も含めて残しておきたいと思います
モヤモヤとした腹痛が・・・ひょっとしてこれは・・・
その日は午前中にかかりつけの医院に糖尿病検診に行きました。
HgA1cも先月からの変化も大きくなく、通常通りに処方箋を受けて帰宅
夜には食事を済ませて自室でのんびり過ごしていたのですけど、
21時頃に睡魔が… そのままお風呂にも入らず寝てしまったのです
1時間ほどした22時頃にみぞおちの辺りにモヤモヤっとした違和感を感じて
ちょっと気持ち悪いな・・・ 胃腸風邪でもひいたかな?と思いました
そこで市販の風邪薬を飲んでまた布団に潜って寝てみたのですが、
1時間ほどした23時頃にまた目が覚めて、みぞおちから少し下がったお腹が痛む・・・
寒気もちょっと感じたので体を温めれば少し違うかも?となぜか思い^^;
お風呂に入って温まってみたのです、しかもしっかり髪も洗った(笑)
すると少し痛みが治まった気がしました。
痛みは残っていたけれど我慢して「明日、病院に行こうかな、、、」と思いまた布団へ
日をまたいで深夜1時過ぎ・・・今度は若干強めの痛みで目が覚めました
痛みで同じ体制で寝ておれず、何度も何度も寝返りを打ちながらも眠気もあって
眠りについたかと思えばまた痛みで目が覚める…
その繰り返しが続いて3時頃には横になっていられないほどに痛みが強くなってきました
痛みはみぞおちから腹部全体、右脇腹、右脇腹側の背中(腰の上辺り)まで広がっていました
次第に呼吸が荒くなり、しばらくベッドのヘリに座って「う~、痛い、痛い」と繰り返し
「これはひょっとすると胆石か?痛すぎる… 明日までもたないかも?」と思い
動けるうちに救急車を呼ぼうと入院の準備(下着や着替えもろもろ)をして
母を起こし、もし入院になったら着替えはここに入ってるからと指示だけして
3時半過ぎに自分で119に電話をして救急車を呼びました
母は眠気まなこで何事か?と驚いていましたが、救急車に同乗してもらう必要もあったため
支度をしてほしいとお願いしました
私がなぜ胆石か?と疑問を持ったのは、私が高校生の頃、
母が強い腹痛を訴えて深夜に救急で運ばれ、胆石の手術をしたことがあったのです
母は「痛い、痛い」と右脇腹や右脇腹側の背中の痛みを訴えていて
その光景を鮮明に覚えていたから…
救急に入ってそのまま即手術…
もう何十年も前の事ですから(笑)手術の傷跡も大きくて
「怖い~(@@;」と記憶が強く残っていたからです
119に連絡をして「近所に来たらサイレンを鳴らさないでほしい」とお願いしましたが却下(^^;
ほどなく通話中に救急車到着…
歩ける状態だったので自分から救急車に乗り込みました
「最後に食べたものは何でしたか?」の質問に…
あれ、夜食べたちらし寿司?やばかった?とそこで一瞬思いました(笑)
でも同じものを食べた母は何ともないもんなーとも…
搬送された市民病院は自宅から車で10分ほどなのですけど
移動時間がとてつもなく長く感じて、早く病院に着いてくれ~!と心で何度も思いましたよ
そこの病院は以前にも喘息で入院して糖尿病が発覚した病院でもあります
当時の入院に関する記録は こちら ➡ 始めての気管支喘息
とこちらから ➡ アラフィフからの糖尿病
救命救急センターに到着!それなのに・・・
救急車で搬送中も救急隊員の方の問いに答えるのもうろ覚えなくらいに痛みが増し
明け方4時頃に救急センターに到着、そのころには少々朦朧とし始めていました
痛みはどんどん激しくなる一方、、、
点滴や採血で針を打たれるもなかなか血管に入らず
何度もブスブス針を刺されたけれど、その痛みよりもお腹の痛みがひどすぎて…
採血と点滴後はこんな感じに…(5~6か所針の跡が…)
気づいた時には母ではなく、姉が付き添ってくれていて驚きました!
母が怖くなって姉に電話をして姉夫婦が病院に来てくれたらしく
義兄が母を自宅に送り、姉がその後付き添ってくれたそうです
意識はあったのに全く記憶がない…、ひたすら「痛い~!う~、痛い~!」と唸りっぱなし
3人ほど医師が入れ替わり問診に来て、その都度状況の説明をするけれど、
点滴をされた以外は「原因がわからない」とだけ言って立ち去るばかり…
女性の医師から「今まで生きてきた中の痛さのMAXのうち今は何%くらい痛い?」と聞かれ
「え?え~っと、、80%くらい?」と必死に答えたのを覚えていますけど
いや、その時がMAXだったわと今は思う(ー。ー)
その時の先生と私のくだりが面白すぎたと姉は笑いをこらえるのが必死だったと言っていました
確かにそうね…、その質問は何の役にたったのだろうか?
胆石かと思ったら違うようだ、膵炎かと思ったけどそれも違うようだ
と診断がつかないため、8時に出勤してくる外科医を待ってほしいと言われ
病院に到着してから約4時間、点滴のみでひたすら待つことに…
長くなるので今日はここまでにして続きはまた改めて…
当時の痛みは今まで生きてきた中でMAXでした(^^;
今ならハッキリ言えるんだけどな
もうあんな痛みは経験したくないと心から思うのですがね(^^;
何にしても苦しい思いはなるべくしたくないと切に思います。。。
それではまた・・・
皆さまが笑顔でいっぱいの日々でありますように☆
hapiko